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広島高等裁判所 昭和24年(う)560号 判決

控訴人 被告人 浴中義美

弁護人 徳富栄生

検察官 志熊三郎関与

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪である。

理由

本件控訴の趣意は別紙控訴趣意書と題する書面に記載の通りである。尚当裁判所は右趣意書に包含された事項の調査の為必要があると認めたので事実の取調べをした。

第一点は要するに被告人の警察及び検察庁における自白は任意になされたものでないから、之を採つて以て本件犯罪事実を認定した原判決は証拠とすべからざるものを証拠として採用した違法があるというのである。

被告人が司法警察員竝に検察官に対し本件犯行を自白して居ること及び原審が右自白の調書を採つて以て原判示事実を認定していることは記録上明らかなところである。

そこで右自白が任意になされたものであるかどうかを検討して見るに

一、被告人を最初坂上巡査駐在所で取り調べ供述調書を作成した巡査豊島照男の原審公判廷での証言の記載中「被告人が三月二十日自白した時は最初は中々自白しませんでしたが色々話をした揚句自白しました。よく覚えませんがその時若い男の人が来ていて浴中と話をしていたが、正直に申しては怎うかと云つて居りました。その男は被告人と同室に居たのであります。その男が岩国市今津マーケツトに居る桜井という靴屋であつたかどうかよく覚えません」との部分

一、原審第一回公判調書中被告人の「私が駐在所で嘘の自白をしたのは駐在巡査が無頼漢を連れて来て私にお前が盗んだのだろう盗んだと言え盗んだと言え始末書丈でこらえてやると申しましたので嘘の自白をしたのであります。」との供述記載

一、原審第六回公判調書中被告人の「検察官に対して自白していることは間違いありませんがそれは不起訴になると思つて左様申上げたのであります。

然し起訴になつたので当公廷では本当のことを申げました」旨の供述記載

一、原審第二回公判調書中、被告人の証人豊島照男に対する「三月二十日私が取調べを受ける時来合はせていた人は今津マーケツトの桜井という人ということを知つて居りますが其の桜井が来ると証人と奥さんがまあ上つてお茶ないとお飲みなさいといつて奥に入り暫くして桜井と証人が出て来て初めは物柔かに云つていたが私が自白せぬので桜井が俺は人殺しもしたことがあり手下が何千人も居るので自白せねば叩き殺してやる。殺しても殺した証拠などは残さぬ。然し此所で自白すれば隠便に済してやると申しましたが証人は其所に居て知らぬ顔をして居られましたが其の点どうですか」証人の答「そういうことは覚えません」問「桜井は私の手を握つて無理に拇印さしましたが其の点はどうか」答「私は人に手助けさして捺印さしたことはない」問「其桜井は私が拇印すると直ちに帰ると申しましたところ奥さんが仕度が出来て居るからお上んなさいと申されましたが其の点はどうか」答「覚えぬ」との記載

一、当審における豊島照男に対する証人尋問調書中、私が被告人を調べたとき確かに誰か来ていたことは相違ありません。私が何かの用事で奥へ入つたとき、その人が被告人に話したかも知れませんが私が調べる時は何も云わなかつたと思います。然しその人が被告人に正直に申してはどうかと云つていたと原審で私が証言しているとすれば或はそうであつたかも知れませんが判然とした記憶はありません」旨の供述記載

一、当審における検証調書中、被告人の前出坂上村巡査駐在所における豊島巡査による取調べの際における同巡査被告人及び居合わせた某の三名の位置が机を囲んで略馬蹄型に列んでいた旨の検証結果の記載

一、司法巡査豊島照生(照男と同一人と認める)の被告人に対する供述調書(昭和二十四年三月二十日附)、司法警察員の被告人に対する供述調書(同月二十二日附)副検事の被告人に対する供述調書(同年四月一日附)の各記載(いづれも自白)

一、被告人提出の上申書(同年三月十五日附、同月二十二日受附)の記載(窃盗を否認)

を綜合すれば、被告人が昭和二十四年三月二十日坂上村巡査駐在所において豊島巡査から本件についての最初の取調べを受け、初めは窃盗事実を否認していたが後遂に自白するに至つたこと、右取調べの際捜査官憲でない一私人某が同巡査及被告人と共に机を囲んで同席し被告人に対し自白を促す等或る程度発言したことが認められる。論旨に主張のように右同席の某が桜井という無頼漢であるとか此の場合の右自白が強制によつて無理にさせられたものであるとの事実は必ずしも明らかでないけれども、此の様に駐在所の狭い調べ室で被疑者が初めて巡査から取調べを受ける場合に他の搜査官憲でない一私人が同席して自白を勧める等の言動に出でた場合における右被疑者の自白は、少くとも任意になされたものでない疑のあるということは之を認めることが出来る。そして右自白につき調書も作成されたので被告人は翌々二十二日の司法警察員の取調べの際も、同年四月一日の副検事の取調べの時も同様自白をしなければ自分の不利益であると思つて自白の供述をしたものであることが以上の証拠によつて認められる。任意にされたものでない疑のある自白は如何なる場合にも之を証拠とすることが出来ないことは刑事訴訟法第三百十九条の定めるところである。従つて原審が司法警察員竝に検察官の被告人に対する右各供述調書を採つて以て原判示事実を認定したのは証拠とすることの出来ない供述調書によつて犯罪事実を認定した違法があるということになる。そして原判決が証拠として列挙して居るものの中右供述調書の外には直接被告人の犯行を裏書する資料はないのであるから右の法令違背は判決に影響を及ぼすものであることは明瞭である。

論旨は理由があり其の余の論旨(第二点)につき判断するまでもなく原判決は刑事訴訟法第三百九十七条第三百八十条に従つて破棄を免れない。

尚本件については訴訟記録並に原裁判所及び当裁判所において取り調べた証拠によつて直ちに判決することが出来るものと認めるので本件につき更に判決をすることとし、考えて見るに、前記証拠とすることの出来ない各自白調書を除けば原審における各証拠竝に当審で取り調べた各証拠を綜合しても被告人が本件自転車を所持していた事実だけは之を認めることが出来るけれども被告人が之を窃取したものであるとの事実は之を確認することが出来ないので刑事訴訟法第四百四条第三百三十六条後段に従つて無罪の云渡をした次第である。

(裁判長判事 柳田窮則 判事 藤井寛 判事 永見真人)

弁護人徳富栄生の控訴趣意書

第一点原審判決は法令の適用に誤があつてその誤が明かに判決に影響を及ぼしていると思料する。

即ち原審判決は「被告人は昭和貳拾四年壹月貳拾八日午後八時頃玖珂郡坂上村大字澁前安商允方に於て同人所有の中古自転車壹台時価壹万円位を窃取したものである」と判示し右判示事実を認定する証拠として

一 第二回公判調書中証人安商允の判示に符合する被害顛末の供述

一 司法警察員並に検察官に対する被告人の各供述調書

一 第二回公判調書中証人久行静男の供述

一 第七回公判調書中証人正中宇作の供述

一 検証調書

を挙げ之を綜合してその証明は十分であるとしているが被告人は原審公判に於て本件被害品たる自転車は他より買受けて所持していたものであつて、自分が窃取したものではない旨を終始主張していることは原審公判調書中の被告人の供述記載の通りである。然し乍ら被告人は搜査の段階に於ては自分が窃取した旨を供述しているけれ共その供述は以下詳記の如き事情の下でなされたものであつて強制又は脅迫によるものか、或は少くとも任意にされたものでない疑があると認められるのである。即ち本件被害品たる自転車を偶々被告人が所持していたことから被告人が窃盗犯人の嫌疑を受け当初その住所地たる山口県玖珂郡坂上村所在の国家地方警察山口県玖珂東地区警察署坂上村駐在所に於て同駐在所駐在巡査豊島照男の取調を受けるに至つたのであるが、その取調に当り同巡査は無頼漢を同席せしめたる上、被告人に対し盗んだと言えば始末書でこらえてやると被告人に窃取の供述をなさしむべく強制し、同席の右無頼漢亦被告人に窃取の供述をなすべく脅迫した事実が存在することを後記の如く原審訴訟記録によつて推定し得るのであつて、その強制と脅迫の結果同巡査に対して被告人は遂に心にもない供述をするに至り、その後警察本署並に検察庁に於ても右の供述を飜した場合の後難を懼れるの余り同様の供述を繰返して来たのである。この事は右駐在所に於ける取調の状況に対して証人として原審第二回公判廷に喚問せられた右巡査豊島照男の同公判廷に於ける供述記載によつて明かである。即ち同証人は裁判官の「自白した時強要をしたのではないか」との問に対し全然否定の立場をとらず「そういう事はないと思います」と消極的に答えているし裁判官の「三月三十日自白した時は直ちに自白したのか」との問に対して「最初は中々自白しませんでしたが色々話をした揚句自白しました」と答えて其の間何等かの強制が為されたことを察知せられ得る答をしているのである。更に又同駐在所に於ける被告人の取調に際し第三者が同席していた事実については裁判官の「その時誰かその場に居合せたか」との問に対して「よく覚えませんが若い男の人が来ていて浴中と話して居りましたが正直に申してはどうかと言つて居りました」と答えて明かに同巡査以外の警察職員でもない第三者が取調べに干与して居り、同巡査はその干与を許容していたことを認めているのである。尚同証人に対する被告人の「その時来合せていた人は今津マーケツトの桜井という人と言うことは知つて居りますが其の桜井が来ると証人と奥さんがまあ上つてお茶ないとお飲みなさいと言つて奥に入り暫くして桜井と証人が出て来て始は物柔かに言つていたが私が自白せぬので桜井が俺は人殺しもしたことがあり手下が何千人も居るので自白せねば叩き殺してやる殺しても殺した証拠などは残さぬ、然し此処で自白すれば隠便に済ましてやると申しましたが証人は其処に居て知らぬ顔をして居られましたが其の点はどうですか」との問に対して同証人は単に「そういうことは覚えません」と現在は記憶して居ない旨をのみ答えて斯かる事実の存在したことを絶対的に否定はして居ないのである。若し斯かる事実が全く存在していなかつたのであるならば警察職員たる証人の立場上被告人の斯かる質問に対しては強く否定すべき筋合のものであるし、殊に被告人より前記の如く具体的状況を詳述しての質問に対しては尚更強硬な反駁がなされるべき道理であるがそれにも拘らず極めて簡単に「そう言う事は覚えません」とのみ答えて恰も当時斯かる事実があつたことを認めているものと推定し得る答をしているのである。右証人豊島照男の原審第二回公判に於ける供述を綜合判断すれば同証人が被告人を取調べるに当つて強制脅迫の事実が介在していたという事を推察し得るし、少くとも第三者の干与を許容した点は動かし得ないのであつて、斯かる事情の下に於て心にもない供述をせしめられた純情朴訥而も平凡な農村の一青年であり、且曾てこの様な経験の全くない被告人が搜査の次の段階である警察本署並に検察庁に呼び出されて同事案について取調べられた場合にいずれも前に駐在所に於て供述させられたと同一内容の供述を繰返すであろうことは推察するに難からぬことであつて、被告人は原審第一回公判に於て「駐在所で嘘の自白をしたのは駐在巡査が無頼漢を横に連れて来て私にお前が盗んだのだろう盗んだと言え始末書丈でこらえてやると申しましたので嘘の自白をしたのであります云々」と供述し又原審第五回公判調書に記載せられている如く裁判官の「警察官には嘘の自白をしたというが検察官に自白しているのはどう言う訳か」との問に対して「検察官に左様申上げた事は間違いありませんが、それは不起訴になると思つて左様申上げたのであります、然し起訴になつたので当公廷では本当の事を申上げました」と答えて居りその間の被告人の心理状態を明瞭に察知し得るのである。

之を要するに駐在所で強制又は脅迫によつて供述させられた事項は次の搜査の段階では特に強要等の不当圧力を用いないでもそれを用いたと同様の迫力を以て被告人の心理を拘束するものである。従つて本件の場合司法警察員並に検察官に対する被告人の供述については、その際は何等の強要を用いなくとも前段階に於ける不当な強制の影響が被告人の心理に尚継継しているのであつて、換言すれば駐在所に於て用いられたと同様の圧力が加えられているのと同一事情の下でその供述が行はれたものと認められるのである。仮りに若し斯かる断定を下すことは無理としても本件の場合被告人の司法警察員並に検察官に対する各供述は少くとも任意にされたものでない疑があると認められるのである。果して然らばかかる被告人の供述を録取した調書を証拠として採用することは出来ないのであつて、これを証拠として採用した原判決は採証の法則に違反したものであるということができる。而して右供述調書を除けば原審判決が列挙しているその他の証拠を以てしては自転車の盗難被害があつたこととその被害自転車を被告人が所持していたこととは証明づけられても、更に進んで被告人が右自転車の窃盗犯人であるとの結論は導き出されぬのであり、従つて本件被告人を窃盗罪を以て処断した原審判決は証拠不充分となりこの点に於て先ず原審判決は破棄せらるべきものと信ずる。

(その他の控訴趣意は省略する。)

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